遊びと人間。その2。 発想の逆転

以前日記にした遊びと人間に関する考察、その2です。 前回引用した定義を再掲します。

ロジェ・カイヨワの定義:

自由な活動:遊ぶ側が強制されないこと。もし強制されれば、遊びはたちまち魅力的な愉快な楽しみという性質を失ってしまう。
隔離された活動:あらかじめ決められた明確な空間と時間の範囲内に制限されていること。
未確定の活動:展開が決定されていたり、先に結果がわかっていたりしてはならない。創意の必要があるゆえに、ある種の自由が必ず遊ぶ側に残されていなくてはならない。
非生産的活動:財産も富も、いかなる種類の新要素も作り出さないこと。遊戯者間での所有権の移動をのぞいて、勝負開始時と同じ状態に帰着する。
規則のある活動:約束事に従う活動。この約束事は通常法規を停止し、一時的に新しい法を確立する。そしてこの法だけが通用する。
虚構の活動:日常生活と対比した場合、二次的な現実、または明白に非現実であるという特殊な意識を伴っていること。


 赤字にしている部分がMMORPGにおいては定義から外れている部分、と前回アテクシなりに判断した部分となります。ちなみにいわゆるパッケージソフトなOFFゲー(PC、コンシューマー機用)非生産的活動は黒文字となります。OFFLINEだけにゲーム内で得た物に対外的な価値が伴わないからです。ただし未確定の活動という部分が、開始当初(買ったゲームを始めたばかりの時)はこの状態が保たれているのですが、エンドコンテンツまで消化してしまえば既に内容が全部判ってしまっているので未確定の活動という部分が成り立たなくなります。 だからこそパッケージソフトを作ってるメーカーさんの商売が成り立ちます。次のゲームを買ってもらえるからです。いつまでも遊べるゲームなんて生み出してしまうと倒産しちゃいますw



 前回日記を書いてて小さい頃にプレイした、モノポリー人生ゲームといういわゆる盤ゲーム(Board Game)を思い出してしまいました。これらはホントに遊びの定義に典型的にはまるなぁとw

自由な活動:盤ゲームだからというわけではありませんが、遊びたい時に遊ぶのがもろもろのゲームなのでその点においては自由すぎるぐらいですよね〜

隔離された活動:とうぜん盤上での活動となるので架空の世界での遊びとなります。

未確定の活動:いつも盤上に書かれていることは同じでルールもまったく同じですが、自分の出す賽(さい)の目、相手の出す賽の目はプレイするたびに変わり、展開は全く読めません。だからこそ運命は賽の目に左右されているけど、出た目から最適の結果が導出できるよう工夫を凝らすのが楽しい点でもあります。

非生産的活動:モノポリー、人生ゲームはプレイする度に全員がおなじ手持ち(あるいは無一文)でスタートです。そしてゲームを進めるうちに破産したり、大金持ちになったりします。でもゲームが終わったらそんな状態は引き継がれず、文字通り勝負開始時と同じ状態に帰着するわけです。

規則のある活動:盤ゲームである以上、厳としたルールが存在します。これを勝手に変えることはできないわけで、だからこそ他のプレイヤーとの遊びが成り立つわけですね。

虚構の活動:盤ゲームである以上、盤の上でしか遊べません。当然架空の世界っぷりは完璧ですw

なるほど。
キッチリ遊びの定義は踏襲しつつ、その上でヒットした遊び、長年愛されている遊びがぬきんでている点となるとどこでしょうか。
あてくし思うに【未確定の活動】の創意工夫の余地と【規則のある活動】のルール≒システムが肝なのではないかと考えます。

例えば、AIONで炎の神殿でクロメデ姉さんを倒す。でも賽の目は一番最後、クロメデを倒した時に振られるだけで、賽の目が悪くてもその後の創意工夫で何とか良い感じに・・・という余地は全くありません。終わりデス。ぢつわNM討伐によるDropというのは一見【未確定の活動】のようで(あまりにもDropしないので)【確定の活動】に等しい感じでもあります。

つまり何も出なくても 『いつも通りでした;;』 という台詞がつぶやかれる訳です。それでも可能性はゼロではありませんので一縷の望みを掛けて足を向ける。これはある意味MMORPGの王道プレイとも言えるかもしれなけれど、こと遊びの定義からすれば外れかけてます。つまり楽しさをスポイルする要素でもある。確率だけがそれを支配していて創意工夫の余地がないからですね。

だって実際、神殿PTは道中は粛々といつも通りのパターンでMOBを倒し最後の一振りにかけることの繰り返しですからぬ。ホントなら「良い装備が欲しい」という射幸心を煽られてどん欲になった方が楽しめるのでしょうけど、アテクシ自身はめっきり無欲化してて自分のなかでそれほどニーズが生まれていないというのも大きいですけど・・・

最近の遊びに関して考え込んでいた命題は「MMORPGってどうしてこう時が経つと楽しくなくなるのか」という事なのですが、昨日ぐらいに発想の逆転をしてみました。気づいた、と言った方が正しいのかも知れません。

それは、

「MMORPG は仮想世界の生活だ」と思えばいい

ってことです。

どうもいつも遊びの定義から覗いてしまっていたので 『遊びである以上、楽しくなくてはならない』 とMMORPGに求めていたのですがそれがそもそも間違っているんじゃないかという閃きです。

遊び=楽しくなくては! という観点から見てしまうとMMORPGは、PTが無くてソロ、制作ONLYとかオンラインなのに黙々と作業する場面が楽しさとかけ離れている時があり、それを持ってMMORPGが楽しいとは言えない気分になるのです。単なる作業感に苛まれてしまう。

が、これが生活だと考えるとどうでしょう。
リアルでは平日は朝から夕方まで働いていたり、学校行ってたりします。楽しい遊びの時間は週末のひとときだけだったりします。これが日常生活です。

ぢつわMMORPGもこれと同じなのでわ? と考えたのですね。
つまり黙々と仕事に励む日(≒ソロ狩、素材採取など)もあれば、PTでわいわい楽しむ休日もある。遊びではなく生活と見なす以上はログインする度に、遊び(ゲーム)なんだから毎回楽しくなくては、という視点は意味を持たなくなるわけです。

この考え方が今のところ「MMORPGってどうしてこう時が経つと楽しくなくなるのか」という命題に対する答えとしてしっくり来ているような感じです。

MMORPGは仮想世界での生活だと。新天地での生活を始めた当社、つまりそのMMORPGを新しく始めてからしばらくは、毎日が新鮮で楽しいことの連続ですが、時が経てば慣れてしまい新鮮さもなくなる。でもそれはリアルでもそうですよね。引っ越ししたり転職したりした直後は同じフレッシュ気分状態ですけれど、暫くすれば慣れてきて少なくとも新鮮味は感じなくなってくる。そして生活である以上、楽しいこともあれば辛いこともあるし、つまらない繰り返し作業もある。つまり『遊びと違って楽しいことばかりじゃないよ』と。

そして生活するなら気の合う仲間と苦楽をともにした方がいいんじゃない?
というなんだか極めて原点的なところに帰結しちゃうのかなぁってw


あてくしはね、MMORPGに多くを求めすぎていたような気がするのですね。
お金払って遊んでいるのだからログインする度に遊びの定義を満足させて、楽しく居させて欲しいということを突きつけていた。でもそれが満たされないからMMORPGに不満を持つ。そしてログインする気がどんどん無くなる。

しかしこの発想の転換で 『嗚呼、MMORPGにいつも楽しさを求めていたら、どんなMMORPGをプレイしても、あてくし満足することはできないわ』 って思いました。この先どんなに新しいMMORPGをプレイしても同じ結果になるなぁって。でも仮想世界の日常生活と思えばまだ熟(こな)していけそうな気がちょっとしましたw。変な話デスがMMORPGに楽しさを求めすぎないというか、生活なのでそりゃー楽しいことばかりぢゃないですよ、という活動スタイルでいかがでしょう?わたし。 という感じですね。

4件のコメント

  1. うちは、毎日製作してますよwww
    仕事しているようなもんですかねえ?ww
    毎日ひたすら繰り返しwwww
    製作きわめるのも、まだまだなんで、日々精進ですwww
    PTいかないんで〜〜
    世界は未知にあふれてますwwwww
    これが、商いコツですかねえwwwwww

  2. 仮想世界の日常生活って考えはしっくりきますね。
    Lv上げやクエの消化や装備への執着が無くなり
    ブログ友達と話したり、採取したり、まったりとPTを楽しむのが
    メインになっている今日この頃。
    MMOが長続きするのは気の合う仲間につきるような気がします。

  3. >「MMORPG は仮想世界の生活だ」
    私はMMOを始めた頃からその感覚でしたね〜
    ですから、自分の楽しさのために努力し、身近な人の楽しさのために努力します

    勝手な感覚ですが、身近だと思い、望みを叶えたいと思い気に掛けた人から裏切られると
    少なからずショックを受けるのも現実と同じです
    期待した分、ショックも大きいので立ち直るのに時間がかかりますし
    相手を信頼する気も萎えてしまい、距離を置くことになります・・・
    ほら、現実の人付き合いと何も変わらないでしょうw

    そんなこともあって、私は自分を飾るのは無理がない程度に抑えます
    ボロが出るのは最大にみっともないと思っているのと、
    できるだけ素の自分を気に行ってくれる人と付き合ってゆきたいから
    ネコをかぶってる、仮面を付けている自分を「気に入った」と言われても、まったく嬉しくないですからねぇ
    (RPしてる人は別格だと思っていますよ)

    PTでの職能を生かした活動は、お互いを生かすための共同作業に他なりません。
    気の合った者同士でやる共同作業は楽しいものです>w<
    『コイツには背中を預けられる』なんて思われたいから、ガンバってしまいます
    そこにテキトーでいいよ感漂うとやる気が萎えてしまいますね、
    一生懸命やってる自分が馬鹿に見えてしまってorz

    INしてもする事がないと飽きてしまいます・・・(経験値を稼ぐわけにいかない状態)
    仕事に行ってする事がなくて、日がな一日ボーっと座っていたり
    客の来ない店でレジに突っ立っているだけ
    そう考えたら楽しいわけないですよねぇ
    楽できたワーイなんて思っていられるのは、2〜3日程度ですw

    おしゃべりもたまにはいいですが、来る日も来る日もおしゃべりだけではネタが足りなくなりますしw
    実際、おしゃべりが得意な現実の奥さま衆は、話の内容にこだわりがないだけのようです
    数日後には同じ話題で盛り上がれるという「いい加減さ」があればこそ
    長続きするのだとか・・・
    私には無理だと思った事を鮮明に覚えていますwww

  4. ◆◆ クリコさん ◆◆
    ちゃお^^

    クリコさんいつも全開で楽しんでる様子ですよね〜
    素晴らしいなぁと思ってるのですYO

    ほら黄金クラブの方でそういうコメント残されてるじゃないですか。
    LVが低くても装備がしょぼくても『楽しいと思っている人の勝ち』だって。

    まさに真言だなぁなんて思っております。

    AIONは確かに奥深いコンテンツ(まぁマゾイとも言えるのですがw)有りますので
    先はほんと長い感じだなぁと思ってますね−。

    ◆◆ パドレスさん ◆◆
    生活と定義づけてみたのでその仮想空間の中でのライフスタイル。

    もちろんライフスタイルにぶれのない人も居るでしょうし、
    変化する人も居るんじゃないかなぁって考えてます。

    パドさんの言うとおりMMOが長続きするのは気の合う仲間、
    苦楽を共にした仲間がそばに居ることなのは間違いないと
    思いますぬ。

    ◆◆ かるさん ◆◆
    遊びの定義から見たMMO。自分なりにその視点から見た時に
    たどり着いた結論というか考え方なのです。

    仮想空間での生活の中に「遊び」の時があるという考えと
    言ったらいいかなぁ・・・

    生活と考えて初めて創意工夫、すなわち衣食住を満たすため
    計画というか努力的な物の必要を強く感じます。

    OFFゲーだとそこの所、すっぽり抜け落ちていても楽しめたりするんですが、
    MMORPGとなるとそうもいかないですよね。リネージュ2はそれで失敗
    しちゃいましたからなぅ・・・
    かるさんの人付き合いに関する行(くだり)は『うんうん』って思いました。
    思いのすれ違う【時】ってありますよね。あてくしはそれ自体は瞬間的な
    事と捉えています。継続するわけではないと。人って考え方は変わる(変える)
    ものなので、次に会った時は思いを同じにしてるかもしれないから。

    それが変わらない時は距離を置く感じになっちゃいますよね、お互いに。
    でもこれは良い悪いぢゃなくてスタンスの違いなだけでその人を
    否定したり悪く思ったりする事とは違うと考えてます。

    まぁそんな感じでマッタリ過ごしていくと思います^^

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